沖縄にある居酒屋の甚兵衛は幸いとても良い料理人に恵まれた

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沖縄居酒屋『甚兵衛』のオーナーの思い

オーナー藤田の思い

私は昭和44年に日本航空に入社した。
その翌年母親を伴って初めて沖縄の地を訪れた。
当時沖縄に来るには日本政府が発行する身分証明書なるものが必要であった。
(これとは他にもちろんパスポートも存在していたが沖縄だけは身分証明書であった)

当時は返還前であったので沖縄は米ドルが使われていた。
沖縄に着いてタクシーに乗ってホテルに行ったが途中の道は英語の看板だらけ
だったのを憶えている。食事はステーキとかロブスターが美味しかった。
タクシーに乗って南部を観光したが料金はとても安かった。
空港には免税ショップがあったので帰りにはウィスキーやタバコを
免税範囲内でたくさん買って帰った。

その後私が転勤で沖縄(那覇市)に行ったのは返還後の
昭和53年(1978年)で30代前半のときだった。

当時は日本航空で営業部門に配属されていた。
その頃の沖縄料理は美味しいと言えるものではなかった。
町にはコーヒーシャープなるものがあって最初は何のことか意味不明であった。
後で分かったのだがこれはコーヒーショップ(食堂)のことで
沖縄の人は耳から英語が入ったのでコーヒーショップがコーヒーシャープに聞こえたのだ。
確かに言い方にもよるがはコーヒーシャープの方が米国人の発音に近い。
店の中に入ると米軍統治時代に作られたAランチ・Bランチなるものがあって
洋食を中心としたトンカツやエビフライなど揚げ物が多いメニューだった
ちなみにBランチよりAランチの方が値段も高く品数も豊富だった。

2年半ぐらい沖縄勤務をした後東京に戻ったが再び沖縄に勤務したいという
希望を持ち続けていたところ念願がかなって1990年に再び沖縄勤務となった。
久しぶりに沖縄(那覇市)で生活してみると食文化が少し変化していた。
以前は和食らしい和食はほとんどなかったが和食もその食材も手に入るようになっていた。
その理由は沖縄の人も本土に仕事や旅行で行くようになり本土
(中年以上の人は本土のことを大和と呼ぶ)の食事や文化に慣れ親しんだためと思われる。
それと同時に美味しくなかった沖縄料理も以前よりは美味しくなっていた。
沖縄は人も温かく全てがゆったりとしていて気候も温暖なのでかねてより
人生の後半は沖縄に永住することを決めていたので2000年には会社を辞めた。


そして妻と共にひょんなことから2001年に那覇市で居酒屋を始めることになった。
周りの人に相談したらほとんどの人が『どうせ失敗するだろうからやめた方がいい』
という意見だったので、1週間ぐらい家の近くの公園で迷った。
それでも失敗したとしても何もしないで生きていくのは意味がないので思い切って居酒屋を始めた。
始めてみたら色々幸運に恵まれて初月からたくさんのお客さんが
来店してくれて現在まで続いている。

食を重視するということで店の名前は居酒屋ならぬ居食屋とした。
沖縄に長く住んでいて思ったことは和風の美味しい居酒屋が極めて少ないということだった。
そこで名前も和風に甚兵衛として店の創りも小料理屋風な居酒屋にした。
またゆったり過ごせるように個室を複数作り足元はすべて掘りごたつ席にした。
2012年には隣に個室を一つ増やして以降個室居酒屋として宣伝している。

料理、そして店への思い

料理の方は板前を二人雇ったが幸い良い料理人に恵まれた。
一人は2010年まで甚兵衛の料理長をやっていた粟国だが彼は高校野球で名高い興南高校を
卒業後すぐに本土の寿司屋をはじめ関東地方のホテルの洋食部門・和食部門を長く経験し、
その後沖縄に戻りオリオンビール系列のお店などで働いていた
経歴を持っていただけのことはあって料理の腕は一流であった。

もう一人の糸満は沖縄でしか料理経験はなかったが沖縄料理を作らせたら一流であった。
糸満は数年で甚兵衛を辞めて現在は栄町で独立して「生活の柄」という変わった名前の
居酒屋をやっている。
最近偶然に糸満に会ったがお店をやりながら相変わらずライブ活動をやっているそうだ。
これを機会に糸満の居酒屋「生活の柄」も姉妹店にすることにした。
糸満の後は短い期間複数の料理人が出入りしたが2005年に大城という居酒屋やホテルを
経験した料理人が入ってくれた。

彼は粟国のもとで5年ぐらい教えてもらい甚兵衛の味をだせるようになったので
現在は甚兵衛の料理長をしている。
粟国の方は独立したいということで2010年の春に甚兵衛を辞め
その年の9月に甚兵衛の近くで「縁」という居酒屋を始めたので甚兵衛の姉妹店として
応援していたが残念なことに2013年の2月に事情があって閉店してしまった。

お料理の基本は仕込みとダシにあると思うが粟国時代に甚兵衛は徹底的に
これにこだわったので現在の甚兵衛があると考えている。

ご存知の方も多いと思うが良いダシを使えばお料理は奥深い味になる。
甚兵衛では毎日早い時間に鰹節と昆布でダシを作っている。
昆布はぬめりがでないように低温で引き上げ鰹節は沸騰してから入れるが数十秒という
短時間で引き上げる。
鰹節は早めに引き上げないと味は濃くなるが品の良い味にはならないからである。
最近甚兵衛の従業員が家族旅行で名護の方へ行って食事をしたそうだが
「お客さんが甚兵衛は美味しいと言ってくれるのがよく分かりました」
「家庭で食べてるものと同じものをそのままだしているんですよ」とのことだった。

つまりお料理を作るときにお醤油や塩のほかは全て化学調味料に頼ってしまう結果だと思う。
甚兵衛のフーチャンプルが沖縄で一番美味しい」と言ってくれる内地からの転勤者や
「はじめて本当に美味しい沖縄料理が食べれました」とか
「何度訪ねても甚兵衛さんは美味しいのでまた予約してください」といった
観光のお客様からのお言葉をたくさん頂戴していますがその理由はやはり仕込みとダシ
によることが多いと思っている。

2001年にはじめた居酒屋だが最初の数年は知り合いになった沖縄ツーリストの人や
その友人の琉球放送の人達が週に3回も4回も来てくださり、
その後旅行雑誌等を見て観光のお客様も大勢来てくれるようになった。
ホームページを公開してからは地元のお客様も観光のお客様も満遍なく
来てくださるようになり現在に至っている。
今になって思えば2001年に成功できるかどうか不安な気持が一杯で居酒屋を
はじめた時に週に3回も4回も来てくださった 沖縄ツーリストの人や
その友人の琉球放送の人達にはいくら感謝しても感謝しきれないと思っている。


お店をオープンしてから11年目の2012年の4月に従来は隣の店舗の個室が
隣の事情で当方で使用できることになった。
かねてよりもっと個室が欲しかったのでお店を改装して新しい個室に現在の店舗から
入れるようにして個室の数を増やし個室が多い居酒屋として営業していくことにした。

甚兵衛での出会いがある2人の人生を変えた

2000年に日本航空を辞めた後沖縄ツーリストの人の紹介で
国際ツーリズム専門学校にて週に3回ほど 航空関係の授業を受け持つことになった。
2001年10月に甚兵衛を開店したが暫く居酒屋と専門学校の先生を掛け持ちしていた。
居酒屋の経営も順調になった頃3人ほどの女性生徒に甚兵衛でのアルバイトを依頼した。
その中の一人の女性が甚兵衛に出入りしている酒屋の男子学生アルバイトと仲良くなった。
そして二人は結婚した。その後二人には可愛い女の子が二人誕生した。
先月私の教え子だったその女性が家族で甚兵衛に食べに来てくれました。
結婚式の時も二人の出会いは私の人生の選択が大きく関係しているなと感じたが
4才になる可愛い娘さんを見た時は不思議な感慨を憶えた。

私の存在が無くても私の教え子だった女性も酒屋でアルバイトしていた男性もそれぞれ他の誰かと結婚して
それぞれ子供を儲けていることだろう。しかし私が目にした女の子は私が中途で会社を辞め専門学校で教え、
居酒屋を始めたことにより存在すると考えるととても 愛おしく思えた。
この娘さんが可愛いこともあるが私の人生の選択で生まれてきたこの女の子はきっと末長く幸せに生きてゆくことだろう。

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